現況

移住後資本の欠乏その他の理由により多少の移動ありて現住戸数154戸、内37年移住せし者71戸38年移住せし者83戸にして町村別では十津川村37戸 四郷村27戸 川上村24戸 小川村21戸 天川村20戸 宗檜村10戸 吉野村6戸 国樔村4戸 竜門村2戸 結崎村2戸 賀名生村1戸なり。

本年春の総作付面積は392町歩9反にして1戸最も多きは5町歩、少なきは1町歩にして平均2町5反歩。

秋季に収穫売却すべき予定石数は1200石なりまた耕作と運搬に馬を所有する者18戸20棟移住前に建設した掘立柾葺板囲7坪5合のものを補修もしくは建て増しして充分寒気を防ぎえる如くしまた狭いため新築せしものも10数戸出て来た。
食糧は黍 麦を主とし菜豆等に少量の米を混用せるも全く米を用いざるものもあり。
副食にはいたる所に生えている蕗 蕨および自家生産の野菜を用い飲料水は河川清水なるをもって河岸のものはこれを用いその他は井戸を掘り一般衛生状態良好にして郷里にありし際より壮健なりという。

団体地は広く特に右岸と左岸の地は遠隔せるがゆえに左岸を甲部、右岸を乙部と称し各部数名の組長を選挙して布令の伝達その他日常公共の事にあたらしめ重要事項は甲乙全組長を協議を以て決定せり。
また移住後就学児童多きを以て甲部においては38年4月80円余を拠出して簡易教育所を設け目下就学児童40余名あり。
乙部にても本年4月団体地内に簡易教育所を新設し30余名の就学児童あり。
移住以来日浅く開墾中なるをもって未だ余裕を生ずるに至らざるも生計に困難せる如きものなし。

4月30日を移住記念日と定め一同休業安息す。

本団体はその郷里の区域10個村の広きにわたり多少人情風俗を異にすると最初より総代人移住せずその棟梁たるべき人物なきとによりどうも協力の実を欠き団結心もとなきの感があったが土着心強くよく労働に耐え事業に精励するが故に新移住者としては稀に見る好成績を残し今後もしその道を誤らずんば他日富裕なる農村を形成するに難しからざるべし。

                                  終

 

上士別 世帯数と人口推移

  年次          世帯数    人口

 1913年(大正2年)   1004戸    5926人

   16年          1384戸    7983人

   20年          1187戸    7383人

   33年(昭和8年)     1691戸    10138人 

   43年          1648戸    10226人

   49年          1243戸    7556人

   51年          1248戸    7575人

 2012年          382戸     989人

 

1950年代上士別小学校本校だけで児童数は1学年70人前後いた統合が進んだ現在全校児童数は20名足らずに減少した。