移住の顛末

予定存置の許可を得るや総代人は帰国して直ちに移住の準備にはいり1戸当たり25円を徴収して人を遣わして請負を以って移住戸数に対する居小屋を建設せしめたり。
また十津川村にては全戸移住する者には40円分家移住する者には10円の選別金を贈り第1回移住者50余戸は明治37年4月大阪より乗船し海路小樽に向かい汽車にて士別に至り。同月29日原野に入り既に建設せる居小屋を土地と共に抽選にて配当を受ける。左岸に40戸右岸に10戸移着し直ちに伐木開墾に着手したり。
都合により大阪より汽車にて移住せし者を含めるとこの年の移住者総数71戸となれり。

38年第2回移住者60余戸1団となり前年と同じく大阪より乗船4月4日士別に着き主に左岸の地に入りたり。この年の移住者の居小屋も出発前に20余円を出金し先住者と同じように抽選にて配当地に入る。この年の移住者総数80余戸本地の想定地積360万余坪期間は3カ年240戸を入れる予定なり。

しかし中には地形地味の不良なる個所もあり37、38年両年移住者150余戸に配当したる残余地は経営に困難なるを以て同年限りにて移住を終了し残地を変換したり。