本庄睦男 ほんじょうむつお

明治38年2月20日―昭和14年7月23日

石狩郡当別町生まれ。小説家

代表作「石狩川」は、現在の当別町に入植した仙台岩出山藩主伊達邦直らの開拓の足跡をつづった小説。

昭和13年に発表され一躍ベストセラー。

生い立ち

明治38年、当別町太美で生まれ、小学3年のとき、両親とともに上渚滑(現・滝上町)に移住。その後、小学校の代用教員、兄を頼って樺太へ渡り工場勤めをしながら学費を蓄え、大正10年に青山師範学校へ入学し文学の道に入りました。

当別は少年時代だけでしたが、佐賀藩の武士だった祖父母の影響と渚滑時代の貧しい生活を、自分の生まれた当別へ入植した移住民たちの開墾の苦難をかさね合わせて「石狩川」を書き上げます。この「石狩川」を書き終えた3ヵ月後、生命が燃え尽きたかのように結核で35歳の生涯を終えました。

石狩市から当別町に向かうと石狩川に掛かる「札幌大橋」を渡ると、右岸の堤防にスッと建って見えるのが本庄睦男の小説「石狩川」の文学碑です。

小説「石狩川」のあとがき

『おこがましくも作者は「石狩川」の興亡史を書きたいと念願した。川鳴りの音と漫々たる洪水の光景は作者の生まれた土地の歴史を見ようとした。そしてその土地の半世紀に埋もれた我らの父祖の思い出をのぞいてみようとした』

文学者の亀井勝一郎は「もし完成していたら島崎藤村の「夜明け前」に匹敵する雄編になっていたろう・・・」と絶賛しています。

生まれた家の跡は現在チョコレートロイズの工場となっており、入口に「本庄睦男生誕の碑」が建てられています。
「いの一番にこの川を見つけたのは肥え太った鮭の群れでもあったろうか」という小説「石狩川」の一説が刻まれています。

「石狩川」は、東映の佐伯清監督が豪華キャストを投入し、当時としては空前の歴史超大作として映画化され、昭和31年に公開されたのが「大地の侍」(大友柳太郎主演)です。
幻のフィルムとも言われていますが、当別町にある「伊達邸別館」でお願いをすると一部を観ることができます。