湧別町の旅 (はじまり)
蝦夷の時代、この地は藤野喜兵衛の請負漁業地でした。 藤野は紋別・枝幸も所有していましたが湧別の地は収穫高が思わしくなく、漁場の開設地以外は原始のままの状態で獲物を追って転住するアイヌ人の仮小屋が湧別河・・・ (続きを読む)
オホーツクは雄武(おうむ)町~サロマ湖~小清水~ウトロまでの18の市町村エリアです。平成合併で9つの町村名が無くなりましたが、旧町村で紹介しています。
秘境知床半島はアイヌ語でシリエトク(地の果てるところ)。網走の天都山からは、斜里岳・羅臼岳を含め絶景これまた絶景!!冬には流氷がこのオホーツクを埋め尽くします。
蝦夷の時代、この地は藤野喜兵衛の請負漁業地でした。 藤野は紋別・枝幸も所有していましたが湧別の地は収穫高が思わしくなく、漁場の開設地以外は原始のままの状態で獲物を追って転住するアイヌ人の仮小屋が湧別河・・・ (続きを読む)
2009年(平成21年)10月5日 、 湧別町と上湧別町が合併し新町名を湧別町としました。 平成合併最後の町となり、これで道内の市町村は179となりました。 上湧別は元々湧別村から分村して始まった村で・・・ (続きを読む)
常呂町(ところ)は、2006年に北見市の一部となり北見市常呂町となりました。 この地は、貞享年間(1684年~1688)に設置されたといわれる宗谷場所の一部でした。 そのため、常呂のアイヌの人たちは交・・・ (続きを読む)
明治16年、「活汲(かつくみ)」に旧土人救済事務取扱所を設置。 アイヌ人に農業指導をしていましたが、効果が上がらず3年後に美幌に移転します。散在したアイヌ人を集約就農により開墾・耕作の効率を上げようと・・・ (続きを読む)
美幌アイヌ 美幌のアイヌの人たちは網走川・美幌川の流域の豊かな資源と阿寒地帯の狩猟によって生活をしていました。 明治20年に美幌外5カ村戸長役場が、元町(現在の字元町)の丘の上に建てられた時には鹿・・・ (続きを読む)
民族移住の地 北海道の中で網走は他とは違う特徴のある町です。 昭和16年に大正山の山裾の洞窟から縄文時代前期末~中期に相当する遺跡が発見されました。 また、続縄文時代末に樺太を経由してオホーツク沿・・・ (続きを読む)
東藻琴村(ひがしもことむら)は、かつて網走支庁管内の網走郡にあった村です。 2006年3月31日、女満別町と合併し、大空町となりました。 村名の由来は、アイヌ語のモコト(眠っている沼)からです。 明・・・ (続きを読む)
留辺蘂町(るべしべちょう)は、北海道網走支庁に存在した町で常呂郡に属していました。 2006(平成18年)3月5日、114年の歴史に幕を閉じ、北見市、常呂町、端野町、と合併し「新北見市」となりました。・・・ (続きを読む)
端野町(たんのちょう)は、北海道網走支庁管内の常呂郡に存在した町です。2006年(平成18年)3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となりました。 明治24年(1891)に札幌~網走・・・ (続きを読む)
丸瀬布町(まるせっぷちょう)は、網走支庁管内の中部に位置していた町です。 2005年10月1日、生田原町・遠軽町・白滝村と新設合併で新町名は遠軽町となりました。 町名の由来は、アイヌ語の「マウレセ・・・ (続きを読む)