遠軽町の旅 (旧生田原町)

生田原町(いくたはらちょう)は、網走支庁管内にあった町です。 2005年10月1日に遠軽町・丸瀬布町・白滝村と合併し、遠軽町となりました。 町名の由来はアイヌ語のイクタラ(ササの意)より。 明治34年・・・ (続きを読む)

遠軽町の旅 (旧白滝村)

「しらたきむら」は、網走支庁管内の中西部に位置していた村です。 2005年10月1日に生田原町・遠軽町・丸瀬布町と合併し、遠軽町の一部となりました。 村名は、村内にある滝からで滝が飛散する水しぶきが滝・・・ (続きを読む)

雄武町の旅 (日の出岬)

おうむ町名の由来は、アイヌ語の「オムイ」(河口が塞がるの意)から。 雄武川の河口は、嵐の時には、川から流れ出る水よりも、海から打ち寄せる波のほうが強く、河口が塞がってしまうという意味のようです。 雄武・・・ (続きを読む)

西興部村の旅 (夢の国)

村名の由来は、興部の西方に位置するので、西の字を冠したものです。 興部とは、アイヌ語の「オウコッペ」より転訛したもので、「川尻の合流したところ」の意味です。 明治2年、えぞ地が北海道に改められた後、開・・・ (続きを読む)

興部町の旅 (道の駅おこっぺ)

興部は「おこっぺ」と呼びます。町名の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)からで、興部川、藻興部川が合流しオホーツク海に注いでいたところから、このように呼んでいたとされています。・・・ (続きを読む)

紋別市の旅 (ガリンコ号)

市名の由来は、市内中央部を流れる藻鼈川を指すアイヌ語のモベッ(静かである・川)から。 オホーツク海沿岸の数少ない天然の良港として、貞享年間(1684年~1687年)に松前藩がその直領としていた宗谷場所・・・ (続きを読む)

北見市の旅 (ハッカ記念館)

平成18年3月5日、北見市、端野町、常呂町、留辺蘂町は、新たに「北見市」として合併しました。 道央圏の石北峠からオホーツク海沿岸まで東西約110kmがひとつの町で繋がったのです。 この面積は北海道で・・・ (続きを読む)

置戸町の旅 (人間ばん馬)

置戸町は、オホーツク総合振興局の南西端に位置し、南と西は十勝総合振興局との境界で陸別町、足寄町、上士幌町と接している人口約3,000人の町です。 「人間ばん馬」のイベントは毎年7月に行われています。 ・・・ (続きを読む)

訓子府町の旅 (ふるさと銀河線)

「くんねっぷ」と言います。アイヌ語の「クンネプ」から転訛したもので「黒いところ、やち川にして水黒し」の意味からの由来といいます。 明治2年、この地方は北見国常呂郡となりました。 しかし、明治20年くら・・・ (続きを読む)

清里町の旅 (斜里岳)

昭和18年に斜里町と小清水町から分村して上斜里村となり、昭和30年清里と改称し町となりました。清らかな里という意味と、母村への敬意をこめて小清水・斜里から一文字ずつもらったものです。 知床半島のつけ根・・・ (続きを読む)