松前藩の総大将松前泰広は、総勢630人にのぼる藩始まって以来の大軍団を3陣に分けて、シブチャリ(静内)をめざして出発させたのです。 装備は150丁をこす鉄砲のほか、短筒8丁入り4箱、大筒2門という、も・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代41 (シャクシャインの戦い9)
ペンケ沢の思わぬ敗退がありましたが、シャクシャイン軍はヨイチ(余市)のハチロウエモンアイノの加勢に百万の味方をえた思いでした。 今後の作戦を練りますが正面から柵を突破するのは無理があります。 国縫川の・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代40 (シャクシャインの戦い8)
国縫川は海が近いだけに川を渡らなければ前に進むことはできません。 その川向こうに、丸太の柵や矢避けが連なっていたのです。 更に、後方には砂金場を急ごしらえにして館が見えたといいます。 川幅は180mあ・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代39 (シャクシャインの戦い7)
シャクシャイン軍団 福山(松前)に向って遠征するシャクシャイン軍団の中に、シャクシャイン本人はおりませんでした。 戦闘は浦河のツノウシとマクワ、幌別(登別)のチメンバ、新冠のウエンスルシを大将として軍・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代38 (シャクシャインの戦い6)
徳川幕府は津軽藩と、秋田の佐竹藩に援軍の出兵を命じ、更に兵糧米を送らせていました。 しかし、松前藩は援軍を和人地である福山(松前)にとどめおいて、関所から奥地である東・西蝦夷地には入れようとはしません・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代37 (シャクシャインの戦い5)
松前藩の開戦 寛文9年(1669年)6月14日にシコツ近辺で、アイヌ民族が和人を襲い殺害された話は、シラオイ(白老)アイヌが6月21日に福山(松前藩)に知らせてきました。 知らせが福山に届いた時、住民・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代36 (国縫川)
長万部の教育委員会を訪ねたことがあります 寛文9年(1669)、シャクシャインの軍団が松前に向けて攻めのぼり、長万部の国縫川をはさんで松前軍と戦います。 長万部の町史で、その記録や資料などが残っていな・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代35 (礼文華山道)
シャクシャインの軍団が二分された礼文華から描いた絵があります。 「礼文華から有珠山」を描いたもので、絵を描き始めて間もない真夏の暑い日に礼文華文学碑公園からでした。 明治のころまでの礼文華・静狩峠の海・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代34 (シャクシャインの戦い4)
蜂起の参謀を担ったのはシャクシャインの娘婿越後庄太夫(鷹待の庄太夫)でした。 戦いの第一弾は6月14日から始まり「商場に来る日本商船を焼き払う」は大成功でした。7月に入ると第二弾「松前藩を攻め滅ぼす」・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代33 (シャクシャインの戦い3)
西蝦夷地の異変 7月5日、今度は西蝦夷の異変が伝えられます。大船清三郎の持ち船に乗っていた水主(かこ)が、深手を負って松前にたどりつき襲撃されたと語ったのです。 東蝦夷異変の15日後に西蝦夷もシャクシ・・・ (続きを読む)

