青函トンネル本坑貫通

昭和60年(1985年)3月10日、青函トンネル本坑が貫通しました。

青函トンネルの構想は戦前から練られていましたが、現実問題として浮上したのは昭和28年で、鉄道敷設法に予定線として追加されました。
予定線の域を出ませんでしたが、建設を決定的にしたのは昭和29年9月の台風15号による連絡船5隻の遭難事故でした。
遭難者1632人を出した惨事をきっかけに、建設の声が高まりました。

北海道側の吉岡での斜坑口は昭和39年(1964年)。
斜坑底から、先進導坑堀削が開始されたのは昭和42年。本坑着手は昭和46年。そうして、先進導坑が貫通したのは昭和58年でした。

工事は海底深部の断層と異常出水に悩まされながら、斜坑口の掘削から19年目で北海道と本州かがトンネルで地続きになり、それから2年2か月後に本坑が貫通しました。

全長53.8キロの世界最長の海底トンネルの出現でした。