道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

東藻琴村 1966年(昭和41年) 18分 白黒 音声なし   

東藻琴村(ひがしもことむら)は、かつて網走支庁管内の網走郡にあった村です。 2006年3月31日、女満別町と合併し、大空町となりました。村名の由来は、アイヌ語のモコト(眠っている沼)からです。

この映像は東藻琴村の企画とありました。
バスが街中を走り「美幌・藻琴・山園」の道路標識が見えてくると山道に入りました。山の六合目の標識のある場所では、村の偉い人たちが集まり神主がお祓いをしています。どうも山開きのようです。
ここでバスを降りた人たちがハイキングの格好で山頂を目指しています。

山頂に到着した人たちが眺めているのは「屈斜路湖」でした。
この山は藻琴山でした。屈斜路湖の絶景ポイントは美幌峠が有名ですが、ここからの景色はさらに標高が高いので見下ろす風景です。ダンスを楽しみジンギスカンで食事でした。山開きに行楽で訪れた人たちのようです。

村の産業
酪農の紹介では牛と馬でした。牛の放牧で牛舎が映り、乳しぼりで集乳缶に入れております。工場に集められてバターなどの製品を作るのでしょう。
馬の放牧は最初にも出ていましたが、こちらは何に使用するのかはわかりません。鶏や豚も飼育されております。牧草の刈り取り作業がありますが、牧草は家畜の餌になるのでしょう。

稲⇒水の階段がでてきて何かと思えば「稲」でした。平地が少ないのでしょう。稲刈りの作業風景で懐かしい、刈り取りから束ねて干す一連が丁寧に映されています。
その他の作物では、馬鈴薯、ビート、キノコはシイタケと思われる茸を室内で栽培をしています。また、刈り取りをした枝を蒸して「液体」と取り出しており、これは「ハッカ」の栽培ではないかと思われます。

村の風景
小学校の運動会を紹介しています。これは今と違い大人も参加でお母さんたちは「玉入れ」でした。

祝東藻琴村
開基60周年、村制20周年の祝賀風景があります。60周年とは、1906年(明治39年)になります。
東藻琴村の歴史は、明治33年に藻琴原野が開放され大阪堂島区の山脇常三郎が92万坪強、宮城県神七郎右衛門が60万坪の貸付を受けました。
山脇は網走在住の奈良県十津川村の原鉄次郎に管理・処分を依頼し、十勝の高島農場の小作・梅谷房蔵の縁故で森弁七に相談し森農場として公式手続きを進めました。明治40年代から次第に入植者が増えだし明治42年には39戸なりました。おそらく、このあたりを開基としているのではないかと思います。                          

                                以上