写真は、厚田の道の駅に展示されている子母澤寛の本で、おそらく初版本ではないかと思います。確認まではしませんでした。

真ん中の「新選組始末記」が昭和3年に出された作家デビュー作品です。左の「新選組遺聞」と、更に「新選組物語」と立て続けに発表し3部作を完成させます。
この作品集を司馬遼太郎や浅田次郎ら後の作家たちが参考にしました。司馬は子母澤を訪ねて仁義を切り「燃えよ剣」を書いたそうです。それほど、新選組に関して革新的な考えでした。また幕末から明治維新にかけての資料がなかったということです。司馬が「街道を行く」で厚田村を選んだのは、新聞記者時代に記者であった子母澤を訪ねたこともあり、彼のふるさとを見ておきたかったのでしょう。

「勝てば官軍」といいますが、歴史というのは勝った人の歴史であって負けた人は賊軍で歴史から消えてしまいます。負ければすべては闇の中です。
子母澤が祖父梅谷十次郎から聞かされた、幕末から明治にかけての恨み節から「新選組」に関する世間の評価が違うのではないと思い描いた作品でした。

「新選組始末記」が出されるまでは、幕府を倒して新しい国を作ろうと集まった薩長土肥の若者に、非情に立ち向かい叩き切った悪い人たちだったのです。

しかし、祖父から何度も聞かされたであろう事の顛末は、新選組というのは京都の治安を守るために組織された会津藩松平容保の配下におかれた集団であって、彼らは「警察」であるという位置づけを初めて示したことでした。