明治42年<初代国技館完成>

1833年(天保4年)から回向院で相撲興行が催されていたことから、1909年(明治42年)5月31日に旧国技館は、同境内に建設されました。

明治20年代(1887年-1896年)初めごろから安定した興行が開催できる相撲常設館の建設が必要であるという意見が出て、明治30年代(1897年-1906年)に常設館建設に動くことになります。
その後、日本初のドーム型鉄骨板張の洋風建築の建物となりました。

屋根は法隆寺金堂を真似。約13,000人収容できました。
開館当初は仮称で、翌年から国技館という呼び方が定着。また、鉄柱308本と鉄材538tで建造された大屋根が巨大な傘に見えたため、大鉄傘という愛称で呼ばれていました。

その後、日本大学が日本相撲協会から旧国技館(墨田区両国)を買収。
1958年(昭和33年)から1982年(昭和57年)までの間は、日本大学講堂でした。