明治42年<仕立屋銀次検挙>

仕立屋 銀次(したてや ぎんじ、1866年5月1日〈慶応2年3月17日〉- 没年不明)

明治時代の東京のスリの親分。本名は富田銀蔵。和服の仕立て職人だったが、内妻の父親がスリの親分であったことからその跡目を継ぎました。全盛期には手下のスリを約250名抱え、弁護士も数名雇うほどで、その贅沢な暮らしぶりから明治後期には日本一のスリ一味の大親分として知られていました。

明治42年6月、元新潟県知事の柏田盛文がのちの東京都電の電車内で金時計を盗まれました。伊藤博文から贈られた記念品の時計であったため、赤坂警察署に被害の報告と捜査を依頼。
警察は当時の二大勢力であった銀次と湯島の吉に出頭を命じたが、銀次側は誰も出頭しませんでした。これをスリ一掃の好機として警察は銀次宅と関係先の質屋に踏み込み、盗品と思しき品々と質屋の通い帳を押収。銀次は手持ちの金時計数個を手下に隠すよう渡したところ、この手下が一部を売り払ったのち持ち逃げします。同年11月に銀次を含め親方から子分まで東京市内のスリを大検挙しました。