(年表)明治43年

写真は小樽商大に向かう地獄坂

1910年(明治43年)      
1月23日 逗子開成中学ボート部員12人と小学生1人が七里ヶ浜沖で遭難 
2月 栄小学校 沙溜澗(さるま)教育所所属上佐呂間教授所として開設
2月23日 最初の飛行場を所沢に選定          
4月1日 斜里郡小清水町立北陽小学校 止別特別簡易教授所として単級で開所
4月15日 佐久間艇遭難事件(広島湾で、第六号潜水艇浮上せず、乗組員全員死亡) 
5月25日 宮下太吉、爆発物製造の嫌疑で逮捕される(大逆事件の検挙開始) 
6月22日 世界最初の旅客空輸、ドイツ・ツェッペリン飛行船(LZ7号)発航
10月1日 裁判所が開設             
11月28日 白瀬中尉ら、南極探検に出発           
12月10日 「大逆事件」第1回公判             
12月19日 徳川大尉、複葉機で飛行成功(日本最初の飛行成功記録)
根室港を開港し、水産物に限って輸入を認める        
小樽商科大学の前身官立高等商業学校として「小樽高等商業学校」設立。
  内閣総理大臣  桂太郎 (明治41年7月14日~明治44年8月30日)
         当時の主な出版物
  ·               「遠野物語」(柳田国男)
                 
  <小樽高等商業学校>
  現在、国立大学では唯一の社会科学系単科大学である。明治43年に5番目の官立高等商業学校として設立された小樽高等商業学校(1944年より小樽経済専門学校)を前身とする。旧制時代は北海道で数少ない文科系の高等教育機関であったため、文芸志向の者も入学し小林多喜二や伊藤整といった作家を輩出した。一般的に道内では樽商(たるしょう)と略され呼ばれているが、小樽市内では商大と呼ばれている。