日中戸岬(にっちゅうべさき)

尾花岬を長い太田トンネルで過ぎると、せたな町北檜山に入ります。
道道740号は海岸線を延々と走っており、かつて、この道路はなかったわけですから思いもよらない景色を目にしているのです。この道を一度走りましたが、もう一度通ってみたいと思わせる道道です。

『北檜山町五十年のあゆみ』によると、
明治2年、熊石【現・八雲町】の相沼(あいぬま)から訪れた稲船氏が日中戸岬付近の地に漁場を開発し、永住するようになったといいます。
昭和38年9月の集中豪雨で2戸流出、7戸半壊、その他の人家および施設も土砂崩れ等の危険が及ぶという潰滅的な被害が生じた。罹災時13戸で、稲船・真砂・工藤・古谷・三上・三上・工藤・長谷川・工藤・小隅の各氏および教員3世帯(校長の鶴氏、小学校教員の丸藤氏、中学校教員の福原氏)。
日中戸小学校は、明治31年5月太櫓(ふとろ)尋常小学校日中戸仮分校として開校。鵜良国民学校日中戸分校を経て、昭和25年10月独立。
日中戸中学校は、昭和25年10月開校(小学校に併置)。
昭和38年の災害により授業が不可能となり、小学生7名・中学生5名はヘリコプターで救出、中央公民館に収容され東瀬棚小学校・同中学校に通学することとなった。昭和38年3月廃校となる。
集落は現在、新しい県道の拡幅もあってか往時の面影はほぼ見られない。
沢沿いの高台に残る校舎の基礎が、数少ない集落の名残といえる。

とありました。