羊蹄山(ようていざん)

日本書紀の斉明天皇(655~)の項目に、阿倍比羅夫の蝦夷遠征が出てきます。「後方羊蹄を以て政所とすべし」あり、松浦武四郎は「後方羊蹄日誌」(1859年)に「雌岳即後方羊蹄也」と著し、後方羊蹄山の名が広まることとなりました。

明治45年4月、旭川師団に駐留していたオーストリアのレルヒ少佐が羊蹄山にスキー登山を行っています。

蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山(標高1,898m)は登山家にも人気があり、登山ルートが比羅夫・真狩・京極・喜茂別と4コースあります。しかし、独立峰であるだけに、過酷な気象条件にさらされて天候の変化が著しく平成11年9月、強風の中で登山を決行したツアー客2人が凍死する事故もありました。

もう30年以上の前になりますが、喜茂別から京極に向かう時に初めて冬山の羊蹄山を見ました。息をのむとはこのことと思いました。
羊蹄山も四季を通して何枚も描いています。