泣き木ー栗山町

泣く木(なくき)は、北海道夕張郡栗山町桜丘の国道234号線沿いに昭和45年(1970年)8月22日まで存在したハルニレの巨木です。伐採しようとすれば「泣き声」を立て、作業員に不幸が降りかかる呪いの木とされていました

栗山町と栗沢町(現在の岩見沢町)の境にある「泣き木」には、悲しい話が伝わっています。
むかし、エゾと呼ばれた北海道に渡ってきた女の人たちの中には、春は、漁場で働き、冬は、雪の深い山で造材の仕事をして働く人がおりました。

その中には、働き者の男と夫婦になり、幸福な日を送る者も多かったし、また、お金を貯めて、当時、内地といわれた生まれ故郷に帰っていく者もあったなかで、なみは、一生懸命働きましたが、中々そうした良い事に巡り合いませんでした。

江差の浜が稼ぎが良いと聞けば江差へ、余市、古平が良いと聞けば余市へ、そして古平へと、渡り歩きましたが、中々噂のような良いことはありませんでした。

秋になって、石狩の浜が良い稼ぎになると聞いて、なみは、今年こそはと石狩へ行きました。
石狩で、一生懸命働きましたが、その年の秋アジ(ニシン)漁が、思わしくなく、大した稼ぎにはなりませんでした。
浜で働いた若い男の人たちが、冬山造材にでるというので、なみも造材飯場に、雇われていくことになりました。家もない原野を横切り、橋もない川をやっとの思いで渡り、恐ろしいような山に入りました。前の年に使った小屋を修繕して、毎日、毎日、木材を切り出します。
なみも、食事係として、朝は暗いうちから夕方遅くまで稼ぎに稼ぎました。
おかげで、切り上げた時には思いのほかの給金を渡されたのですが、無理がたたったのか病気になり、ひとり、山をおりてきました。

ちょうど、今の桜丘(栗山町)まで来ると、もう歩くのやっとでした。
なみは、大きな木の下に腰をおろし、私はどうして不幸せな女なのだろうと嘆き、木にすがって、
「私は、きっと、ここで命をおとすことになるでしょう。不幸せであった私を、どうぞお守りください」と、泣きながら、その木の根元で死んでしまったのです。

その後、夜、その木の近くを通ると、女の人のすすりなく声が聞こえるといわれ、「泣き木」と呼ばれるようになりました。

また、道路工事の時に、取り払われることになったのですが、ノコを入れると女の泣くような声が聞えたり、けが人がでたりしたので役所もあきらめ、泣き木は残されました。
いまでは、その道路を見下ろすような高い場所に立っています。

元来は河畔の巨木にすぎなかったこのハルニレが、様々ないわくを持つ「泣く木」となった経緯に関しては、様々な説があります。
昭和45年、国道234号線の拡張・直線化計画が持ち上がり、工事の妨げとなる「泣く木」の伐採問題で町が揺れるさなかの8月22日深夜、北海道北部出身で当時29歳の作業員・Kが酒の酔いに任せ、チェーンソーを用いて一気に「泣く木」を伐採してしまいました。
伐採には成功したものの根株は掘り起こされることなく残され、国道のカーブも解消されることはありませんでした。しかし、以来、この地点では「泣く木に魅入られたよう」と称される原因不明の交通事故が多発するようになったといいます。
当時の『女性自身』『週刊平凡』などの週刊誌は「呪いの切り株の怪異におびえる町」として、昭和52年(1977年)にこの周辺で発生した死亡交通事故をセンセーショナルに報道。事態に苦慮した栗山の町民は、朽ちかけていた「泣く木」の切り株の周辺を整備するとともに、近隣に生えていたハルニレの若木を「泣く木2世」として移植し、傍らに祠を祀るなどして慰霊に努めています