北海道人のルーツ 12 土方歳三の死
政府軍約8000人は、江差・松前方面、二股口開道、木古内間道口の三道から五稜郭目指して進撃します。
榎本軍は約3000人。半数にも達しない榎本軍を相手に政府軍は苦戦します。
政府軍参謀は、これほど勇敢な抵抗は戊辰戦争以来はじめてのことと語ります。
しかし、箱館湾の壮絶な海戦も、弁天砲台や千代ケ岱の奮戦もむなしく、また、五稜郭北方に急増した四稜郭も未完成のうちに陥落、一か月余の死闘ののち、5月17日、榎本は五稜郭を出て降伏しました。
政府軍参謀の一人黒田清隆は、榎本の人物を惜しみ降伏をすすめます。
榎本は留学時代に学んだ「海律全書」を、これからの日本に必要な書物と考えて政府軍にとどけました。政府軍は酒五樽を送って答礼したといいます。
小樽の龍宮神社境内に榎本武揚像があります。
左手に国際法の「海律全書」を、右手に「羅針盤」を持って学問や航海安全を願っている像です。
黒田清隆は「海律全書」を福沢諭吉に翻訳を依頼しますが、「これは教科書なので学んだものでなければ理解できない」と言って突き返されます。
5月11日、箱館の総攻撃が開始され、土方は銃で狙撃され戦死。
34歳でした。榎本が降伏を決意したのは土方歳三の死がありました。
土方の生涯については下記に詳しく書いてあります。