北海道人のルーツ 11 官軍乙部上陸

明治元年12月28日、蝦夷共和国として全島を平定して機構を整備しましたが、イギリス・フランスなど列国は局外中立の立場を解除します。

旧幕府軍がアメリカから購入した甲鉄艦が横浜に繋留されていました。
強力な鋼鉄装甲を新政府は渡すよう交渉を進めていたのです。開陽丸は新鋭ではありましたが木造でした。
中立解除によって、とうとう新政府に渡されることになります。

このことは開陽丸が沈没した榎本海軍にとって決定的な打撃となります。
榎本軍はこの甲鉄艦を奪おうと宮古湾海戦を仕掛けますが甲鉄艦のガットリング砲の威力にかろうじて脱出帰還となりました。

新政府の立場は不動のもので、蝦夷に渡った反乱軍をこのまま放置しておくわけにはいきませんでした。
明治2年春、政府陸軍は青森に集結。
3月品川沖を出発した甲鉄艦を中心とする海軍は宮古湾海戦で勝利し、青森で陸軍と共に津軽海峡を渡り4月9日乙部に上陸します。

乙部町の旅(箱館戦争官軍上陸の地 )