北海道命名之地

旭川から国道40号線で北に向かうと、1時間30分ほどで音威子府村に到着します。国道は旭川からJR宗谷本線と並行に走っています。
村の中央に道路が二手に分かれます。右に行くとオホーツク海、左に行くと日本海です。

JR宗谷本線と40号線は左で、右は国道275号とかつて天北鉄道がありました。
天塩川は40号線と並行しており、10キロほど走ると「北海道命名之地」の看板が見えてきます。川岸に下りる道があり、ここを右折すると天塩川の川岸に到着します。
川と「命名の地」の碑があるだけで、まわりは何もありません。
しかし、天塩川の岸辺に車で行ける場所は少なくなり、久しぶりに大河を目の前にしました。

明治2年に蝦夷地は北海道と命名されましたが発案者は松浦武四郎。
幕末にこの場所のアイヌ古老に聞いた「カイ」の意味を元に「北加伊道」と名付けたと碑が立っています。
武四郎は『カイ』とは,この国に生まれた者ということで、アイヌの人々は,自らその国を呼ぶとき,加伊(かい)と言い、もともと蝦夷(えぞ=かい)とは加伊 (かい)のことである考えたといいます。
松浦武四郎は雅号をいくつか使用し「北海道人」もあり、命名以前に使っていました。