岩見沢市に志文という町があります。
小田原で四男に生まれ、狭い土地を奪い合うような農家に飽き足らず大型農業を夢見て22歳で北海道に来ました。
志文という地名は、子供たちの中で一人でも文学に志してほしいと、志文と名付けた開拓地です。

辻村 もと子は、1906 (明治39) 年2月11日に長女として生まれます。
志文と名付けた開拓地で育ち、函館遺愛女学校時代から短歌、創作を始めます。3年生のとき受洗。日本女子大学卒業記念に創作集「春の落葉」を出版。
1944(昭和19)年「馬追原野」で第一回樋口一葉賞受賞しました。東京大空襲で故郷の岩見沢市志文に疎開。持病の腎臓病が悪化し、1946(昭和21)年、41歳で死去。

マオイからの石狩平野

馬追丘陵は、北海道の石狩平野の南東に位置する丘陵です。
「まおい」という名称は、アイヌ語で「ハマナスの実があるところ」を意味する「マウ・オ・イ」に由来します。
長沼町に標高は275mの馬追山があります。この山頂に1972年(昭和47年)辻村 もと子の文学台と碑がつくられました。
石狩平野を見渡すことができる場所で、ドライブ方々車で登ることができます。