利尻地名の語源はアイヌ語のリ・シㇼ(高い・島)。
島の東半は利尻富士町、西半は利尻町で、島の大部分は利尻礼文サロベツ国立公園に指定されています。

利尻富士町・利尻島の地図

1669年、松前藩船が来島しアイヌ人と交易をおこなっていました。
その後、リイシリ場所を請け負い、アイヌ人を使役し場所の開発を行ったのは初代恵比須屋岡田屋弥三右衛門でした。

1807年、ロシア船が来襲し狼藉を働いたので、幕府は翌年会津藩に命じ警護にあたらせたが病死者を多数出し、その墓石が鷲泊と本泊に建てられています。

明治9年、鷲泊・本泊など6ケ村を統括し宗谷に区務所が置かれ、鷲泊に戸長事務取扱所を置いたのが利尻島の自治の始まりでした。

明治10年から漁業が盛んになり、明治20年には漁業組合も設立。
2年後に山形県漁民が鬼脇でタラ釣漁をはじめ、これがこの地でのタラ釣漁の始めとされています。
明治17年には、利尻・礼文各村が恵喜丸に補助金を出し定期航路を設定。
翌年から札幌県の補助により小樽・増毛・天売・焼尻・利尻・礼文の定期航路を開設させました。

鷲泊にあるペシ岬

昭和に入り鬼脇・鷲泊港を竣工し、昭和31年鬼脇・鷲泊が合併し東利尻村となり、3年後に町制施行になりました。
昭和37年、利尻空港を開港。
昭和40年、利尻・礼文国定公園、5年後カーフェリーが就航、漁業と観光の町として充実を図ってきました。

1990年(平成2年)、開基110年を機に利尻富士町と改称しました。

稚内市から西方約53Kmの日本海に浮かんでいるように見える島、島の中心に秀峰利尻富士(1,721m)がそびえたっています。 春から夏にかけては、数多くの高山植物が咲きリシリコマドリをはじめ多くの野鳥がさえずる自然の宝庫です。
稚内からフェリーで1時間40分。