日本一の直線道路29.2km

美唄地名の由来はアイヌ語のカラス貝にちなみ「ピパイ」「ピパオマナイ」「ピパオイ」のいずれかから転訛したとされています。
明治19年、富山県人福島磯次郎が市来知村(現三笠市)から美唄川南岸に移住、渡し守を開業し最初の移住者となりました。

空知支庁の中央部に位置し、市内を南北に国道12号と函館本線が平行して縦貫していおり、市内を縦貫する国道12号は、日本の道路で最も長い直線区間です。

東部は夕張山地につづく丘陵・山岳地で、かつては石狩炭田の一部で道内有数の採炭地でした。最盛期である1950年代の人口は9万人を超えましたが、その大半が閉山し、北菱産業埠頭(株)が盤の沢地区で露天掘りを電力会社向けに行っています。
炭鉱事故による脊髄損傷者などのリハビリテーションに力を入れていたことから、福祉施策が行き届いています。駅や道路等の公共施設、商業施設等ではバリアフリー・ユニバーサルデザインを積極的に取り入れられています。