明治13年3月赤心社を設立
 
発起人は鈴木清、橋本一狼、加藤清徳の三名。
趣意書案を作りましたが北海道の実情も移住手続きも知りません。
そこで、開拓使御用雑誌「開拓雑誌」を発行している学農社に教示を求めます。
発起人三名は赤心社設立の趣旨』を広告して株主募集を開始。
 
「赤心社」の名は
『嗚呼我が同志愛国の諸君よ、僅かの酒食料の一部分を投じて永く子孫の生産を図り、併せて報国の赤心を奮起する意なき歟』
応募者を集め役員選挙を行い、社長に鈴木清、副社長に加藤清徳が選ばれました。
 
赤心社の本社は神戸に置き、社長は本社、副社長は現地に駐在。
第一陣の移民は途中暴風雨に合い函館で20日間の滞在を余儀なくされましたが、5月19日浦河に到着。
社長鈴木清は、入植状況の視察するため7月31日に浦河に到着。
早速開拓地を視察したところ、開拓されたのは僅かに七反歩。あまりの業績不振に鈴木は唖然。すぐさま札幌に行き開拓使勧業課、租税課その他各方面に奔走して、農事指導者を迎え、為替送金、麻種の払い下げ、耕牛・機械類の購入。失望離散した移民を集め激励します。
社長自ら陣頭指揮で体制をたて直し、近隣地所を視察し、元浦川流域を新たに開墾地に選びました。