栗山(くりやま)町名の由来は、アイヌ語のヤムニ・ウシ(栗の木・多いところ)の意訳といわれています。
旧町名は角田(かくた)で、開拓者の出身地仙台藩角田(かくだ)よりとられた村名でした。

明治3年、仙台藩士の泉麟太郎は開拓監事となり室蘭に第一陣51人を率いて入植。室蘭の農業に限度を感じたため、主君石川邦光の弟光親とともに明治21年に夕張開墾起業組合を設立、21名で夕張郡アノロに入り、馬鈴薯などの耕作に着手しました。
やがて村を作ると、出身地旧仙台藩の角田町の名をとって角田村としました。

泉麟太郎邸宅

更に、真誠社を設立して、角田・長沼の開拓を進め、北海道庁財務部長の指導により、水稲の試作にも成功して北海道で最初といわれる水利組合を設立。夕張川から水を引き、水田を広げて行きました。

後に村会議員、村長、道会議員を歴任し、栗山町の開祖と言われています。

昭和24年に町制を施行。この時に角田村から栗山町に改称しています。

 

 

国蝶オオムラサキ 

ふるさといきものの里 オオムラサキ館

昭和60年に御大師山で「国蝶オオムラサキ」が確認されました。
オオムラサキはタテハチョウという蝶の仲間。
英名では「Great purple emperor」(素晴らしい紫の皇帝)と言われるほど気品ある姿をしています。

現在では、日本各地の里山環境に生息していることが分かっています。
北海道では生息域が限られており、栗山町で発見されたのも、ほんの偶然からでした。小学校の理科の副読本を作るために御大師山に入ったところ、オオムラサキの姿を発見したのです。

御大師山栗山公園には「ファーブルの森」が作られ、昆虫の育成舎なども建ち、ホタテの生息環境の保護など自然保護にも力を入れています。