永山は明治21年(1888年)6月から第2代目北海道庁長官を兼ねた方です。
明治22年には屯田兵司令官に就任し、北海道庁長官退任後の明治28年には臨時第7師団司令官ともなりました。

屯田兵を掌握し軍部内では一大勢力でしたが、政治的野心はなく、中央の政治抗争のためにその力を行使することはありませんでした。

終生北海道を案じ、その身を捧げた武人。
武四郎は永山神社・北海道神宮末社開拓神社に祀られています。永山神社には銅像が建立。
武四郎の生誕の地である鹿児島県鹿児島市薬師にはそれを記す説明板が設置され、北海道札幌市中央区には永山武四郎の邸宅である旧永山武四郎邸が保存されています。