町名の由来はアイヌ語のサルまたはシャルより転化したもので、いずれも「アシの生えているところ」の意味。

現在の斜里に人が住み始めたのはおよそ3万年前。先土器時代と呼ばれ、石器の形式が大陸北部のものと共通点が多く、北ヨーロッパからシベリアを経て、北海道北東部にわたる北アジア文化圏の一端を形成していました。
奈良朝から平安朝の頃、大陸方面からオホーツク海沿岸を南下してきた海洋民族がおりましたが、この民族の文化は従来の北海道には見られなかった系統のものでオホーツク文化と称せられています。

宗谷に上陸した彼らはオホーツク海沿岸を東進し、北千島に至る過程で斜里町にも多くの遺跡を残しています。アイヌ文化期の初期には、まだいかなる民族の支配も受けず、大陸との交易は宗谷、樺太を通して行われていました。

明治5年、斜里郡の村名が定められ、ヤンベツ村、シャリ村、シマトカリ村など5ヵ村が誕生しました。明治10年には斜里浦役場が設置され、斜里町農業開拓の先駆者と言われている鈴木養太が入地した斜里村赤上1番地で初めてこの地に開拓の鍬を打ち下ろしました。

知床は2005年7月17日にユネスコの世界自然遺産に登録されました。