市名の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」から。

明治15年開拓使が廃止され、札幌・函館・根室の三県が置かれ、北見国は根室県の圏域に入りました。明治16年、常呂村に常呂外六ケ村戸長役場が置かれたのが、当市行政の始まり。

明治19年、三県を廃止し北海道庁を設置し、本格的な道路網の整備に着手。
囚徒を使役して、網走~上川間の「北見道路」を明治24年完成、各所に駅逓が置かれ内陸部の開拓は飛躍的に進みました。

常呂村は明治28年、高知県の土佐団体が入地したのが草分けで、明治31年には岐阜団体が入地しました。
野付牛村では、明治30年に坂本竜馬の甥、坂本直寛が率いる高知県の移民団・北光社が入地。同年6月と翌31年9月には屯田歩兵第4大隊が入地。

明治30年に屯田歩兵第4大隊第1中隊が入地した端野村は、大正10年に野付牛町から独立。昭和36年に町制を施行、端野町となりました。

北見市は、網走支庁管内で最大の人口を抱え、2006年には合併で道内8位の人口となりましたが、面積が広大なため人口密度は低い。
(写真はピアソン記念館)