青函連絡船

青函連絡船は1908年(明治41年)青森と函館を結ぶ鉄道連絡船として開業。航空機のない時代には北海道へ渡るメインルートとして隆盛を極めます。
 
青森発着の特別急行列車 (はつかり / みちのく / 白鳥など)
  夜行列車  (ゆうづる/ 急行八甲田) 

函館発着の優等列車(特急北斗 / 北海 / おおとり 急行宗谷 ニセコ)
  夜行普通列車は、青函連絡船との接続を重視したダイヤを組み、函館では深
  夜・早朝に発着する例も見られました。

1970年代前半には1日30往復もの運航がありましたが、航空移転や民間フェリー航路の整備に伴い、客貨ともに輸送量が急激に減少していきました。
(最盛期は昭和48年の約490万人)。

列車が青森駅や函館駅に到着した時には、連絡船乗り場へ向かう乗客でプラットホームや跨線橋(こせんきょう)がごった返えし、荷物を抱えた乗客が乗り場へ競って駆け出すことから「桟橋マラソン」と呼ばれる光景を見せていました。

(「津軽海峡冬景色」はこの様をよくあらわしています)