十勝鉄道

大正8年、帯広に北海道製糖会社が設立されました。翌年から大正村(帯広市の南東部河西郡)の工場で操業を開始。各地に直営農場を設け、集約栽培をし分散していきました。
大正9年11月に生産原料の甜菜(てんさい)を集約するために、単線、蒸気の専用鉄道を敷設し、周辺の発展にともない旅客輸送の拡大を図り沿線の農産物輸送への転換を計画しました。

大正11年5月、専用鉄道を一般運輸営業を開始するための地方鉄道への変更を出願し、翌年1月には特許が下りました。
大正12年4月、専用鉄道の軌間762ミリから1067ミリへの軌間拡張と新線敷設工事に着手。
大正13年2月新帯広ー上清川間(24.1キロ)と藤ー上美生間(20.7キロ)、常盤ー八千代間(12.1キロ)の合計56.9キロを開業。
大正13年12月には帯広ー新帯広ー工場前間(3.5キロ)、上清川ー太平間、新帯広ー帯広大通間、南太平ー戸蔦間などが開業しました。

しかし、昭和4年12月には利用度が少ないため南太平ー太平間を廃止。
昭和15年5月の常盤ー上美生間の廃止に続いて整理再編のため昭和20年11月、十勝清水を起点とする河西鉄道を合併し、十勝鉄道帯広部線と称しました。

63.3キロの長大な路線を誇りましたが、戦後は道路や自動車の普及で昭和32年8月、藤ー八千代間と川西ー戸蔦間が廃止。帯広ー工場前間の3.5キロを残すだけの専用鉄道になり、昭和52年3月に廃止となり十勝鉄道37年間の歴史の幕が閉じられました。