夕張鉄道

大正10年10月、資本金300万円の夕張鉄道㈱として設立されました。
栗山~新夕張(後の夕張本町)間の地方鉄道敷設特許を出願し、翌大正11年7月に許可が下りました。

大正13年8月から工事がはじまり、路線の半分は明治34年に敷設された馬車軌道跡に沿って敷設され、大正15年10月には栗山~新夕張間30.2キロが、単線、蒸気の動力で開業、一般運輸営業が開始されました。

昭和2年12月、栗山~江別間の鉄道延長(19.9キロ)を出願し測量に着手しますが、江別町東部境の一帯が、高位泥炭層であったため不適となり、江別停車場分岐を取りやめて野幌停車場分岐に変更しました。

昭和5年1月に工事がはじまり10月に完成。11月から新夕張~野幌間53.2キロの営業が開始されました。所要時間は2時間20分。

昭和27年5月に気動車を導入し、客貨混合列車を廃止して客貨を分離。
しかし、昭和42年12月を最盛期として年々衰退。昭和44年4月からは貨物輸送の近代化を図りディーゼル機関車2両を導入し石炭輸送に力を注ぎました。

昭和46年11月、栗山~鹿の谷間の旅客営業と、鹿の谷~夕張本町間の鉄道営業を廃止。
更に、昭和49年4月には栗山~野幌間の営業も廃止するとともに、地方鉄道の営業を北海道炭鉱汽船に譲渡しました。
昭和50年3月、平和鉱の閉山に伴って夕張鉄道全線を廃止し、地方鉄道営業も廃止して夕張鉄道50年の歴史を閉じました。

夕張鉄道は、夕張市に本社を置く企業で「夕鉄バス」の名称で夕張市や江別市でバス事業等を行っています。
バス路線は鉄道の培養路線として1952年(昭和27年)夕張 – 栗山間で運行開始、その後上江別(後北海鋼機前)・札幌大通間を開業、鉄道とバスの複合輸送により札幌乗り入れを実現。1963年(昭和38年)には夕張市内各線や札幌急行線を運行する夕張バス株式会社を吸収合併し、急行岩見沢線等を開業。以降、鉄道旅客のバスへの転換が進みました。

写真は、夕張鉄道栗山町の「角田駅」の模型で、栗山郷土資料館にあります。