道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

津別 1964年(昭和39年) 29分 白黒 音声なし  

津別町役場が企画したものですが、珍しく協賛として丸玉木材㈱と津別町農協の二社が入っていました。これは津別町が初めてのことでした。

津別は森林の町らしく、映像は明治に入って開拓者が入る前の密林からはじまりました。
先住民族のアイヌの人物が映されています。音声が入っていないのが悔やまれます。そうして、森林で大木をチェーンソーで切り倒し、山の麓まで下ろし、トラックに積み込み津別町市街地にまで運送する映像です。
市街地に映像が移り高いエントツがあります。これが丸玉木材㈱ではないかと思われます。トラックからクレーンで大木を吊るして下ろし、製材工場の中に運ばれ一連の作業が続き、ヘニヤや合板など規格品の製品となります。搬出される製品を見ると、どうも輸入用に作られているのではと思いました。

津別森林組合直営苗畑
カラマツの苗を育てています。木を切り倒した後に植林をするための苗を作っているのでしょう。
北海道の木材産業は、どこの町や村でも必ず植林が行われています。

津別の産業
農家の畑作
⇒大豆と小豆ではないかと思われます。特に小豆は刈り倒して、畑の中で乾燥させるために積み上げていました。
馬鈴薯⇒寒冷地の畑作には馬鈴薯がよかったのでしょう。津別では澱粉を作るのではなく、俵に詰め込んでいました。おそらく、他の町に運ぶのでしょう。
農協畜産センター
センターでは豚を育てていました。農家の多角経営で畜産は奨励されていたのでしょうが、豚は初めてみました。この豚の行先までは映されていませんでした。
協賛に農協がありましたが、市街地に農協デパートがあります。町の人たちは、こちらで日常品や食料品などをそろえているのでしょう。農協は無くてはならない存在です。

津別小学校
学校に給食センターがあり、子どもたちは教室で昼食ができます。昭和39年の時代に、まだ給食がある学校は珍しかったと思います。
高台浄水場
取水場が映され、川から取り入れた水をろ過しています。飲み水としての作業です。

行楽
津別峠が映され屈斜路湖を眺めています。美幌峠からも絶景の屈斜路湖ですが、津別峠からは更に標高が高いため屈斜路湖を見下ろす景色です。
ケミチップ湖畔
YMCAのキャンプ風景が映されています。従って、外国人の姿もありました。更に、ケミチップ湖から流れる出るケチミップ川にかかる『鹿鳴の滝』が出てきました。
津別岱
「津別岱」は初めて聞きました。調べてみると木禽岳の相生斜面二合目を言うのだといいます。
子ども連れで出かけており屈斜路湖を眺めていました。

道路の開削作業
最後の映像は土木作業でした。これは想像するには阿寒湖に抜ける国道240号ではないかと思います。

                             以上