梅谷松太郎(うめやまつたろう)

梅谷松太郎とは、後の子母澤寛の本名です。松太郎の出生と実の母、育ての祖父の関係なくして小説家子母澤寛は誕生しませんでした。

母は三岸イシといいます。明治7年(1874年)、函館で石川金次・ハルの長女として生まれますが、9歳で七飯村の三岸卯吉の養女となります。この三岸卯吉に妹がおり、妹スナの夫が厚田村の梅谷十次郎でした。
数年後、厚田村に住むスナとその夫の家にもらわれていくことになります。

養父になる梅谷十次郎は彰義隊の生き残りで、ニシン漁に沸く厚田に流れ着き、旅館を営んでいました。(梅谷十次郎については別に書きます)
イシは梅谷家の養女として育てられますが、明治24年に卯吉が亡くなり三岸姓を継ぐことになります。
その翌年2月に18歳で私生児を生みます。後の子母澤寛です。夫となる男は厚田にやってきた青年で、子が生まれる前に村を出ています。生涯、子母澤は父の顔を知らずに成人していきます。
更に、生まれた直後に今度は母イシは別の男・橘巌松と厚田村を出て札幌に行きます。これは養父十次郎に反対されたためです。橘巌松とイシの間に2人の子どもができますが、一人が有名な洋画家三岸好太郎で、北海道知事公館の敷地内に道立三岸好太郎美術館があります。子母澤寛の異父弟で、三岸好太郎の妻は画家三岸節子です。
もう一人の妹はお花の先生になり、イシが産んだ3人の子どもは芸術家になりました。

写真は三岸好太郎美術館です