道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

福島町 1967年(昭和42年) 20分 白黒 音声なし 

「新しい北海道の玄関」 映像は青函トンネル工事からはじまりました。

音声がないので確かなことはいえませんが、松前町に伝わる「神楽」の舞が4つ紹介されています。
はじめて見るもので、福島は松前町の隣町ですから蝦夷時代の松前藩の伝統を引き継いでいるのでしょう。

①二羽散米舞(にわさごまい)
庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云います。鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされています。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり、地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いです。

②松前神楽
1674年にさまざまな神楽、能・雅楽などの伝統芸能を集大成し、福山(松前)城内で松前藩第6代藩主・矩広が藩の行事として行ったのが公式の始まりとされています。当時の松前神楽は、松前城下7社と周辺の神社の神職によって演じられ、家ごとにその技術が伝えられていきました。古くから神官のみに継承されてきたため、洗練された伝統芸能として育ち、主に道南地域の神社において祭礼の際に舞われています。

福島大神宮例大祭
1日目(宵宮祭)、2・3日目(祭礼行列)、4日目(本祭)と4日間続く伝統的な祭り。
北前船でもたらされた京風の文化的影響を受けた開拓前期の松前文化の特色を備えています。行列の先行を勤める四ヶ散米(しかさご)行列は、他に類例のない、福島町特有のもの。

白府荒馬踊
福島町白符に伝わる踊り。室町時代に津軽からニシン漁に従事するために渡ってきた人々の往来や交通を通して伝承されたと考えられています。 勇壮な荒馬踊に、「棒ふり」や扇を持った「ヤセヤセ踊り」。
この4つの神楽を見れば「福島町」という町の歴史がわかります。他と違う文化を感じます。

大千軒岳
登山の姿で男女が山を登る映像です。行楽の行事かと思えば違いました。登る山は「千軒岳」でした。
千軒岳は砂金採取が行われ元和年間(1615~1624年)に数万人が集まり、幕府の禁教政策を逃れた人々が金掘りの名目で渡来していたといわれています。
1639年(寛永16年)松前藩による、隠れキリシタン処刑によって106人が殉教した地でもあり、金山番所跡と千軒平の尾根には十字架が建てられています。毎年7月の最終日曜日にはキリスト教徒殉教ミサが行われるというので、この日だったのでしょう。十字架の前で賛美歌(?)。その後、山頂まで登りお弁当を食べながら絶景の眺めとなります。

福島町の産業は漁業が主体ですが、これは暖流の対馬海峡の影響により温暖な気候で、福島漁港を中心にイカを主体にホッキ・ホタテ・ホッケなどを水揚げし、水産加工も盛んです。特に、スルメは日本有数の産地となっています。このイカを巻き上げる映像があります。

青函トンネル
町の上空から⇒福島漁港⇒北海道と青森の地図⇒吉岡と竜飛岬と映像が続き
青函トンネル工事の福島入口が映されます。
竜飛岬から掘られているのと、この福島の吉岡から掘られているトンネルが津軽海峡の真下で繋がる日がくるのでしょう。
(昭和62年(1987年)総延長54㎞の青函トンネルが開通)

矢越岬灯台
福島町を海からの風景が映し出されています。これは船上から絶壁の陸を写した映像ですから貴重です。
まずお目にかかることはありません。奇岩・奇岩の連続の風景です。
この一角で若者たちのキャンプ一泊の行楽風景があります。石ころだらけの海岸にテントを張り、食事を作り、夜はファイアーストームと楽しい時間です。
滝もあり観光にもなる場所でしょう。

                                以上