北海道官募移民<移民扶助規則>明治2年11月

政府は士族対策とは別に、明治2年11月「移民扶助規則」を設定しました。
これは北海道移民を開拓使が募集するもので、自ら移住する農民と工商を保護すると共に積極的に移民を募りました。

規則は、移住者には6千坪の未開地と共に家屋、家具、農具などが支給され、3ケ月間は米と塩噌料が与えられるというものでした。

この結果、札幌近郊では
苗穂(なえぼ)・丘珠(おかたま)・円山(まるやま)
・平岸(ひらぎし)・月寒(つきさむ)・白石(しろいし)・手稲(ていね)・豊平(とよひら)・生振(オヤフル)・花畔(バンナグロ)
などに応募があり、これらの移民によって開拓の端緒が開かれたのです。

明治2年9月,根室,宗谷,樺太への農工民約500人。
根室の開拓は元禄年間に始まり、明治2年に開拓使松本判官が属僚130人を連れ来往し、根室市の基礎を築きました。
同12月,酒田県から農民男女300人。

明治3年酒田,柏崎両県から第二陣118戸,394人が札幌付近に入地。

明治4年5月,長崎,熊本両県から日高国西舎村,杵臼村(現浦河町)への45戸,167人の入地。

明治5年には鹿児島,長崎県下の漁夫百余人の招募をします。