(年表)明治34年<黒澤酉蔵>

写真の絵は、黒澤牧場を描いたものです。

黒澤酉蔵について
「青春時代に、偉大な人格者に出会って一生が決まることがあります。
明治34年12月10日代議士田中正造が、栃木県足尾銅山から流出する鉱毒に苦しめられている農民救済のため、天皇陛下の馬車に駆け寄り直訴。
黒澤は当時17歳、東京・文京区にある京北中学へ通う学生の身。
直訴は陛下のご意向で穏便に済まされ、何のとがめもなく釈放されました。
「是非、田中先生に会いたい」…矢も盾もたまらぬ気持ちで、芝口2丁目の越中屋を訪ねました。」

黒澤酉蔵くろさわとりぞう

1901年(明治34年)
 
           
1月1日 私立北鎮尋常高等小学校として設立
     旧第七師団私設教育所として開設
 
2月3日 福沢諭吉死去(享年68歳)            
4月20日 東京の日本女子大学開校式
(校長成瀬仁蔵、来賓渋沢栄一、大隈重信、ケーベル等の祝辞あり)
 
4月 阿寒小学校の前身、舌辛簡易教育所として開設          
5月2日 伊藤首相、財政をめぐる閣内不統一により辞表提出          
6月2日 第一次桂太郎内閣設立              
7月 近文第5尋常小学校設立          
10月23日 田中正造、足尾鉱毒事件で衆議院議員を辞職           
11月18日 官営八幡製鉄所、作業開始            
12月10日 議会開院式還幸の御途、前代議士田中正造、足尾銅山鉱毒事件の直訴を行う   
12月27日 学生の鉱毒地視察、906名参加             
12月29日 食堂車が東海道線急行列車に登場            
京極小学杖の前身開設。          
札幌の3新聞が合同して北海タイムスを創刊する
  内閣総理大臣 伊藤博文(明治33年10月19日~明治34年5月10日)  
  西園寺公望(明治34年5月10日~明治34年6月2日) *臨時兼任  
  桂 太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)