明治29年<第7師団>

第七師団長・永山武四郎

第7師団(だいしちしだん)は大日本帝国陸軍の師団の一つ。
上川離宮と並び旭川の原点と呼べるのが陸軍第七師団です。

第7師団は明治18年に北海道の開拓と防衛を兼ねて設置された屯田兵を母体とし明治29年に編成されました。
明治維新後の日本がまず直接的に脅威だったのが当時の帝政ロシア、樺太千島交換条約で北の国境は画定されていたものの、ロシアはその後も強大な軍事力を背
景に清国や朝鮮半島に触手を延ばし、黙っていれば大半が未開の地であった北海道への南下も明らかでした。

ロシアが北海道に上陸侵攻するとすれば大きく2つのルートが考えられました。海軍力を背景にした樺太ルートと千島ルートです。
北海道内から見れば地理的に正反対ともいえるこの両方のルートいずれにも対処するには、両側から均等の距離、つまり北海道のど真ん中に軍事処点を置くのが良いわけで、沿岸部からできるだけ距離を置く必要性からも上川は理想的な地形と位置にありました。
 
開拓に当たっては屯田兵という一石二鳥の手法を採ったのです。
師団編成地を札幌に置き北海道と東北の兵で構成されました。
初代師団長は薩摩出身の永山武四郎少将→中将で、第二代(1900<明治33>~1906<明治39>年)が同じく薩摩の大迫尚敏中将。
大迫が率いて日露戦争に出征することになります。