「最上徳内」は江戸時代中期から後期にかけての探検家です。蝦夷の探検家として松浦武四郎がよく知られていますが、武四郎よりも半世紀近く前に蝦夷に初めて探検に入った人です。
名前はあまり知られていませんが、間宮林蔵や近藤重蔵たちは最上の案内で蝦夷地に入り名を遺した人です。

著作に『蝦夷草紙』、アイヌの生活を記した『渡島筆記』などがあります。またアイヌ語の辞典である『蝦夷方言藻汐草』の編纂にもかかわっています。

 

奉公先で学問を積んだ後に師の代理として下人扱いで幕府の蝦夷地(北海道)調査に随行、後に商家の婿となり、さらに幕府政争と蝦夷地情勢の不安定から、一旦は罪人として入牢しながら後に同地の専門家として幕府に取り立てられて武士になるという、身分制度に厳しい江戸時代には珍しい立身出世を果たした(身分の上下動を経験した)人物でもある。