神威岬 2  (念仏トンネル)

三浦哲郎(忍ぶ川で芥川賞)の小説で「愛しい女」がありますが、神威岬の念仏トンネルの描写が見事なので紹介したいと思います。

                                                                  

【やがて神威岬の付け根のところにあるお土産屋を兼ねた食堂(食堂うしお)でジープを降り、岩鼻をめぐる小道を歩いた。

(中略)ようやく断崖のあたりに、トンネルが黒い口を開けているのがみえた。念仏トンネルである。

(中略)荒削りで天井が低く、洞窟にでも入っていくような気がする。やがてトンネルが鉤の手に折れると、あたりは全くの暗闇になった。

(中略) トンネルを抜けると、目の前が茜色の陽が砕けている入海で、そのむこうに、左手から弓なりに海へ突き出ている神威岬と、その前方の岩礁地帯に石地蔵のように立っているメノコ岩が、黒々とみえていた】   
                                                                                                  
念仏トンネルは、かなり前から立入禁止となっています。以前は神威岬に行くにはこのトンネルを通る必要がありました。このトンネルは、大正7年に開通となったもので全長60メートルあります。                                                        大正元年、神威岬灯台守の家族がワクシリ岬付近で荒波にさらわれ死亡するという事故が起きたのを契機に、土地の人々が大正3年に着工。両側から手掘りで掘り進むうちに食い違いが生じ工事が中断。念仏を唱えて鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が分かり工事が再開できたと言われています。このため、途中で2度折れ曲がっており、内部は真っ暗。

現在は神威岬灯台は無人化されていますが、1888年(明治21年)から1960年(昭和35年)までの72年間、職員とその家族が居住して守っていました。
念仏トンネルを通り抜けて、「水無しの立岩」を見上げた感動は脳裏に焼き付いています。