群馬岳(ぐんまだけ)

群馬岳は雨竜沼湿原の南東3キロ付近に位置する標高970.6mの山です。

雨竜(うりゅう)町名の由来は、雨竜川からとされています。この地の開拓が始まるのは、明治22年華族組合農場からでした。雨竜原野に5万㌶の払い下げを受けた、三条実美・甥の菊亭脩季・旧阿波藩主須賀茂韶・旧松本藩主戸田康泰らの華族経営でした。
欧米農法を取り入れ、広大な農場経営をするため菊亭が農場長として赴任しましたが、実質的な指導は札幌農学校出身者で主任の町村金弥が行っていました。

国領地区に群馬県から入植しました。国領とは群馬県豊受村の地名で、国領の西に見える群馬岳は故郷をしのんで名づけられたものでしょう。