孝行もち  (木古内町)

むかし、ずうっとむかしの話。
つけ木(今のマッチ)を売り歩くひとりの少年がいた。
「つけ木ー、つけ木ー、つけ木はいりませんかあー」

ぼろぼろの着物を着た、つけ木売りの少年の売り声は、雨が降っても風が吹いても聞こえてきました。
少年はつけ木を背中に、一本のつえ・・をたよりに歩いた。目がよく見えないのだ。

「つけ木ー、つけ木ー、つけ木はいりませんかあー」

少年の売り声は、山の中の村から村へ、そしてまた、海べの村から村へとわたっていった。ときには遠くのほうまで、つけ木売りの少年はでかけていった。
「あれ、木古内のぼうが来たぞ、つけ木を買ってやろうぜ」
つけ木を売る少年の声を聞くと、村人たちはどうしてか、ほっとするのだ。
孝行者の木古内のぼうが元気な声で売り歩くのを聞くと、村人たちは、じぶんの子どものように思ったからだ。

木古内のぼうーこの少年は年とった父親と、ひとりの弟と三人で、函館に近い、木古内というところに住んでいた。
毎日つけ木を売り歩いて、年とった父親をたいせつにしたから、村人の噂になり、いつのまにか「木古内のぼう」とかわいがられるようになったという。

「つけ木ー、つけ木ー、つけ木はいりませんかあー」

少年は、毎日村から村へ、町から町へと売り歩いた。「木古内のぼうだ。つけ木を買ってやろう」村人たちは、そのたびに買ってやった。

木古内の里にも、秋の季節がやってきた。野山の木の葉もすっかり落ちてしまった。
冬、春、夏、秋・・・・・・また、冬、春、夏、秋と繰り返すうちに、どうしたのか、木古内のぼうのつけ木の声が聞えなくなった。
「木古内のぼうは、このごろ姿を見せんのう」
村人たちは心配そうに話すのだが、姿を見せないわけを聞きにいくこまがなく、そのままになっていた。
それからしばらくしたある日、木古内のぼうはひっそりと死んでしまった。

ぼうが死んで五、六年すぎた。
大阪のある金持ちの家に、男の子が生まれた。
だが、どうしたのだろ?
生まれた男の子は手をにぎったまま、どうしても開かない。有名な医者にかかっても開かない。あっちこっちと手を見てもらいに歩いても、どうしても開かない。どうしたものか、と男の子の家では頭をかかえてしまった。

ある日、ひとりの旅人がたずねてきた。
「この子は、木古内のぼうの生まれかわり。ぼうの墓の土を手にぬれば手がひらく」と言って、どこかへ行ってしまった。
大阪の金持ちは、すぐ使いの者を木古内にやり、土をとりよせてきた。

「ほんとうに手が開くのだろうか?」
「とにかく、土を手にぬってみよう」
男の子の母親は、いのるような気持ちでぼうの墓の土を手にぬった。
「あっ、ひらいた、ひらいた。にぎった手がひらいた・・・・・・」
みんなうれし泣きをした。
どんなに、うれしかったことだろう。
木古内のぼうは、大阪の金持ちの家に生まれ変わったのだと、村人たちはみんなそう信じた。
自分のことのように、みんな喜んだ。ぼうは死んでしまった。けれども、村の人たちの心には、いつまでもぼうは生きていた。

「もちー、もちー、孝行もちー」
木古内駅に、汽車がとまると、孝行もちを売る声がホームに聞こえる。
ずっとむかし、木古内のぼうが、
「つけ木ー、つけ木ー」と売り歩いた声のように聞こえる。
まちの名物、孝行もちは、木古内のぼうの孝行ぶりから生まれたもちだ。
孝行もちが売られてから、もうずいぶん長い年月がたっているという。
「孝行もちください」
汽車の窓からもちを買うお客が、だんだん増えてきたという。木古内のぼうは、いまは小さな墓に眠っている。
「つけ木ー、つけ木ー、つけ木はいりませんかあー」と、毎日歩いたぼうは、小さな墓の中で、「もちー、もちー、孝行もちー」という、駅の売り子の声を聞いているだろう。