川が無い函館山

函館の街は函館山から広がっていきました。ところが函館山には川がないため井戸を掘っての生活でした。箱館開港と同時に外国船が入港すると、最初に求めるのが「水」です。当初は井戸の水を汲み上げていましたが、とても求める量にはほど遠く郊外の亀田川まで汲みに行くという難儀でした。

1859年(安政6)には亀田川から分岐し函館山まで流れる願乗寺川が開削されましたが、汚水が流入しコレラが流行した際にはその原因となりました。ようやく1888年(明治21年)に新川が建設され願乗寺川が廃止されます。
明治22年、横浜に次ぐ2番目の上水場が完成しました(三番目は長崎)。生活水を供給する拠点として「元町配水場」は今もなお現役で供給しています。函館山ロープウェイ山麓駅そばにあり、桜の名勝にもなっています。

はこだて自由市場

観光客にとって楽しい町は、生活をする市民にとっては大変不便な町といえるでしょう。観光客用の店しかないため、毎日の生活用品を売っている店がないのです。函館の街の中にはスーパーマーケットがありません(土地がないのです)。
大森海岸を湯の川温泉までクルマで走っても無駄です。コンビニはありますが毎日の食材は揃いません。函館朝市はありますが、値段は日常のものではありません。それでは、どこで生鮮三品や総菜などを購入しているのかといえば市民の市場があります。

五稜郭の近くに中島廉売が昭和9年に誕生しました。戦後に函館朝市ができますが、中島廉売の店主が支店としてつくられたものです。廉売まで行くと市民の台所なので値段は比べ物になりません。

もう一つは函館駅前の松風町、新川町と続く住宅地の中央部に位置する『はこだて自由市場』です。

戦後に作られた市場で、鮮魚・青果・乾物など毎日の食卓を飾る生鮮品が軒を連ねています。特に魚介類の豊富さには定評があり、函館朝市でイカや大トロなど3~4,000円で食べさせてくれる「ネタ」は5~600円パックで売られています。

小樽も市場が十数件ありますが最近老舗の鱗友朝市が閉鎖されました。しかし、函館では車で郊外や北斗市・七飯町に車で出かけなければないので市場が成り立っています。市場の活気をそのまま感じることができる函館の街は、買い物を楽しみながら安く買えるので隠れた観光名称といえるでしょう。

函館公園

函館市電ー青柳町駅を降りると函館公園があります。

明治12年、日本で最も早い時期に造られた公園のひとつで、今も当時の姿をとどめる貴重な存在です。札幌は公園の多い町ですが、この公園には学ぶものがたくさんあります。

当時の実業家が中心となって寄付金を集め、市民も全面協力で造られました。絶叫マシンはありませんが、のんびり癒される遊戯施設が園内に点在しています。ここにある観覧車は、日本で稼働する最古のもので、昭和25年に大沼湖畔に設置されたものを移設しました。また、桜の名所としても知られています。

地元の商人・逸見小右衛門が、奈良県の吉野山のようにしたいと、自らの手でサクラとウメの木5250本を植栽。桜の木をよく見ると、剪定が行き届いており、まるで大きな盆栽が並んでいるようです。

私が行ったときは連休前でしたので露店の準備中でした。桜シーズンには夜間に電飾が施され、函館市民で賑わうのでしょう。

「酒は涙か溜息か」「月光仮面」

函館駅前を海に向かって歩くと、左側は歌に歌われた松風町です。

戦前の大ヒット曲『酒は涙か溜息か』は、根室出身の高橋掬太郎が函館日日新聞の記者時代に作詞しました。この碑は護国神社入口に立てられています。

松風町の仲通りを歩くと「大門横丁」が、往年の賑わいを取り戻そうと必死です。

グリーンベルトには正義のヒーローが立っています。その名も月光仮面。かつては「誰もがみんな知っている」正義の味方でした。

月光仮面が初めて登場したのは昭和33年。連続テレビ番組で一世を風靡しました。この像は、原作者で青柳町生まれの川内康範によって寄贈されたものです。台座には、キャッチフレーズ「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」が刻まれています。

しかし、今は新幹線効果でアジア観光客が増えています。松風町一帯はホテルラッシュで空き地が目立ち寂しい限りです。そんな場所に立つ月光仮面は、昭和30年生まれまでの人たちには強く焼き付いています。日本の元祖スーパーヒーローは、やや元気のない、ゆかりの地・函館を「しっかりしろよ」となぐさめているような気がします。