北広島市の開拓記念公園

北広島市は札幌の隣町です。地形は札幌から新千歳空港の間に広がる丘陵地帯にあるためゴルフ場が8カ所もあります。

札幌からのJR千歳線が市の北部を走り「北広島駅」があり、駅の近くにある「開拓記念公園」は、明治17年、旧広島藩の和田郁次郎率いる25戸103人が入植した所です。土地が狭い広島県では、家を継ぐ長男だけしか生活基盤がなく、次男以下が新天地を求めて移住しました。

和田は平等に一万坪の土地を与えたため、移住者は次第に増え明治26年には人口1万人を超えます。市の南部には、先人として寒冷地稲作の父といわれる中山久蔵がおり、米の生産量は道内一を記録しました。
当時の開拓長官はこの功績を讃え「和田村」と名づけるよう勧めますが辞退し広島村と申し出ます。

平成8年の市制施行を記念して、広島県と混同を避け「北広島」とし、広島平和記念公園の「平和の灯」から分火を受け、開拓記念公園の一角に点火し燃え続けています。

日本ハムは北広島に決定

札幌ドームは2001年(平成13年)5月に完成し、6月2日に開場しました。札幌市が所有し、札幌市と道内財界各社が出資する第三セクター「株式会社札幌ドーム」が運営管理を行っています。

北海道コンサドーレのホームスタジアム、北海道日本ハムファイターズの本拠地球場として使用し、イベントにも利用され様々な国際大会が開催されています。

2016年(平成28)1月に札幌市の秋元克広市長に、新球場建設構想について日本ハム側から専用球場について調査・検討したいという話がありました。秋元市長は「仮に専用球場をつくるとしても、できれば札幌市内でお願いしたい」と話したといいます。それから半年後、正式に公開されました。

そもそも、日本ハムは北海道に移転した2004年から札幌ドームを本拠地としていました。ただし、球場は球団ではなく札幌市所有であるため、使用料やその他の経費を含め、年間約26億円を支払っています。

北広島市のボールパーク(BP)構想は2015年から!

「きたひろしま総合運動公園予定地」がBPの候補地になる前の2015年から、市は野球場整備を模索していました。日ハムの移転が公表されると市の星槎道都大学(旧道都短大)学生が作成した「ボールパーク」の模型を提示して交渉がスタートします。人口6万の市と195万大都市との争奪戦となりました。

実績と交通網に地の利のある札幌は、共進会館跡地と北海道大構内を提示しますが、日ハムの構想には狭すぎました。

昨年、北広島市役所に行ってみました。前回行ったときに市役所は隣に新しい舎屋を建築しており、旧舎屋は取り壊されていました。私は北海道の役所を100カ所以上訪問していますが、北広島市役所の造りは、まったく新しい構想を持っていました。5階建てで、一階と五階は市民に開放されています。二階~四階までが通常の行政業務のフロアーです。一階は市民の健康フロアーで、認知症・介護・健康不安について自分で検査し相談ができるものです。五階は見晴らしの良い広いベランダと弁当などを持参して食事ができます。
更に、ファストフードはコンサドーレの石屋製菓が運営しています。決定的なのは五階に議会室があり入口に市議会議員全員の名札が並んでおり、在籍者は赤と黒で分かるようになっています。

日ハムのボールパーク(BP)とはどんなものなのか!

五年後オープンに向けて北広島市は4名の職員を専属に任命してスタートしました。日ハムの構想をどこまで実現できるかは不明ですが、公表されているのは次のようなものです。

「入場料はいらない。入りたい人はどなたでも入ってもらえばいい。そして、座って野球を観たい人だけ『座席料』を払っていただけばいい」

イメージ図を見ると、スタジアムとその外にあるショッピングモールや広場、レストランには境がないように見えます。つまり、収容3万というのは座席の数であって、実際にはその数倍の人がスタジアムに入れるわけです。最大の課題は交通アクセスになります。しかし、市長は早々と知事に交渉し、道庁を含めたプロジェクトを立ち上げました。北広島の上野市長は昨年選挙があり4期目となりました。