北海道は明治維新後150年となりました。未開地に入植し「村を作った」のは46都府県人です。平成の大合併で179の市町村になりましたが、それまでは212の市町村がありました。

明治2年には約6万人弱に過ぎなかった北海道の人口は、開拓使、3県1局時代を経て北海道庁が設置された明治19年には約30万人。その後も増加を続け、明治34年には100万人を超え、開道50年の大正7年に218万人となります。
また、明治19年には3万町歩(ヘクタール)にも満たなかった耕地面積も大正7年には約80万町歩に達しました。

未開拓の地に、最初に鍬を入れた県人は誰だったのか?

150年も経てば、現在の札幌のように多国籍の町となり県民性などは死語となります。

しかし、未開の地に鍬が入れられ村が作られていく過程では「遠いふるさと」の暮らしや、しきたりが継続しているものです。日本列島は、なにかと静岡県で東西に分けられるといいます。西の文化と東の文化ということです。
東の人と西の人が一緒になると(結婚)お互いに苦労するというのです。東西でなくても、しきたりが躾として植え付けられた人が、同じ屋根の下で暮らすと、お互いに疑問に思う言葉や動作、さらに食べ物などにも影響がでてきます。時には言い争いになったり、最悪になれば離婚の原因になることもあります。

北海道の人口推移

1701年(元禄14)20,086人(道南和人限定)
1869年(明治2)58,467人(開拓使設置・道南中心)
1884年(明治17)227,900人(全国最下位)
1890年(明治23)427,128人

(以降開拓期に人口大量流入し急増)
1900年(明治33)985,000人
1908年(明治41)1,322,400人
1912年(明治45・大正元年)1,739,090人
1920年(大正9)2,359,183人
1945年(昭和20)3,518,389人(全国1位)
1970年(昭和45)5,184,287人
1995年(平成7)5,692,321人
2005年(平成17)5,627,424人(減少)

私が北海道の市町村にある郷土資料館に顔を出すようになったのは、入植当時の県民性に興味を持ったからです。

2005年に公開された「北の零年」(吉永小百合主演)は、明治4年淡路島の稲田家臣たちが日高の静内に移住(総勢1137戸546人)したことがベースになったものです。ところが、この映画は明治初期の時代考証を検証してみると辻褄の合わないことがわかります。北海道の歴史については、まだまだ知られていないことが多いのでしょう。

最近は県人会という言葉も聞かなくなりました。同じ出身都道府県に属する市町村人会、郷友会などの連絡、協力を目的として、首都圏に進学する学生の宿泊を格安でお世話をする県もありました。これは、村や町から都会へという逆の場合ですが郷土は心強い絆でもあります。
大都市になってしまうとわからなかったことが、北海道の小さな町に照らし合わせてみると見えてくるものがあるものです。県民性については次回も書きます。