音威子府村(北海道命名地)

本州の北にある大きな島を「北海道」と呼ぶようになったのはそう昔のことではありません。明治の新政府は、この島を正式に日本地図に加えることになり、新たな呼称が必要になりました。1869年(明治2年)に蝦夷通と呼ばれた松浦武四郎に提案をさせ、南海道、東海道という地域名にならって「北」の「海道」だから「北海道」と呼ぶことに決めました。写真は音威子府村の天塩川沿いにあります。

慶応から明治に改元されたのは、1868年10月23日(慶応4年9月8日)のこと。ふつうは、改元の詔書が出されたときから、その年いっぱいまでが、新しい元号の元年となりますが、明治改元のときは特例でその年の元日にさかのぼって明治としました。このため、慶応4年1月1日(1868年1月25日)から9月8日(1868年10月23日)までのあいだは、あとから明治元年に改められたわけです。つまり慶応4年は、いったん存在した後、なくなってしまったということです。

北海道は植民地

北海道に開拓使庁は置かれたものの「知事」がおりませんでした。1886年(明治19年)、政府直属の行政機関「北海道庁」が置かれましたが、戦後、地方自治法が施行されるまで、中央政府の長官が北海道を監督しました。戦前の知事はいまのように選挙で選ばれることなく総督府が置かれた植民地の台湾や朝鮮と似たような地位に置かれ続け、1948年(昭和23年)、北海道はようやく本土の都府県並みの自治体となったのです

北海道150年

150年といえば歴史としては短く感じますが、前序のような経緯がありますし、原始林開拓という特殊な時代があるため時系列にしてみると他県とは違う内容の濃い歴史があります。

私たちの祖先が北海道に移住してきたのは、屯田兵が切り開いた後が主ですから、屯田兵制度が打ち切られた明治32年以降に人口増となります。したがって、本州とは違い祖父母の時代にまでさかのぼれば、北海道の歴史になるので「私の歴史」を身近なものとして感じることができます。

道や経済団体、北海道アイヌ協会などでつくる「北海道150年事業実行委員会」は8月の記念式典をはじめ、年間を通して多彩なイベントを企画しています。

北海道100年(昭和43年)

1968年(昭和43年)に北海道開道百年の節目を記念して、札幌厚別区に百年記念塔が建てられました。この塔のデザインは全国公募により299点の中から、北海道今金町出身の井口健氏のものが採用されています。(塔の高さが100m)この他に大通公園には開拓使長官黒田清隆・開拓使最高顧問ホーレス・ケプロンの銅像なども建てられました。

地方の町や村には松浦武四郎の碑や銅像を建てて今日に残されています。武四郎の数はおそらく100カ所近くあるのではないかと思います。更に、近藤重蔵など一般の市民にはなじみのない人物の碑も根室や厚岸だけてなく、塩狩峠を下った和寒町の林の中にも建てられています。

今年は官民を挙げて関連行事や取り組みが予定されているようで、先人が積み重ねてきた歴史を振り返り、未来を見つめるメモリアル・イヤーとなるでしょう。

しかし、150年が最後で開拓時代を語る人は少なくなっていくでしょう。

北海道150年目にして、ようやく松浦武四郎が願っていたアイヌ民族が表舞台にでることとなりました。どのような紹介の仕方になるのか興味のあるところです。