村名の由来で「興部」とは、アイヌ語の「オウコッペ」より転訛したもので、「川尻の合流したところ」の意。当時興部川と藻興部川が川尻で合流してオホーツク海に注いでいたので名付けられた。本村は、興部の西方に位置するので、西の字を冠したもの。
明治2年、えぞ地が北海道に改められた後、開拓の歴史が始まりました。
明治5年、紋別郡に10カ所村が置かれ、この地はオコッペ村と決まり。明治37年、開拓の鍬が振り下ろされました。その後、興部~名寄間を結ぶ道路の開通を待って、明治39年頃からこの地への入植が始まりました。その後の発展と共に、次第に分村、独立の声が高まり、大正14現在の西興部村が誕生。
かつては名寄本線が通っていましたが、1989年に廃止されてました。上興部駅、西興部駅、六興駅、中興部駅があったのです。
網走支庁管内では唯一の「村」。紋別市から内陸に約40分走ると突然、山々に囲まれた夢の国が現れます。村の主な建物はシンボルカラーのオレンジ色に統一され、遠目からでもはっきりとわかります。
村営の施設には森の美術館「木夢(こむ)」や森の中のホテル「森夢(リム)」、マルチメディア館「IT夢(アトム)」、道の駅「花夢(かむ)」 など、「夢」がつけられ、夢を大切にする村のメッセージが感じられます。