日本最大の野生動物事件

この事件は日本の獣害史上最大の事件でした。。
わずか3日のうちに一頭のクマが開拓農家12軒を襲い、6人を殺害、3人に重傷を負わせたというのは熊害としては世界にも類をみません。
事件が起こったのは大正4年12月。
事件が起きた場所は、日本海に面する北海道北部の海岸から30Kmほど内陸に入った苫前郡苫前村の三毛別(さんけべつ)の六線沢という開拓部落でした。
現在は苫前町三渓という地名になっています。

この事件は、吉村昭の小説「羆嵐(くまあらし)」で詳しく知ることができます。出版社=新潮社(文庫)初版=1982年11月25日。
関心を持たれた方は、まずこの本を読んでから出かけてみることです。
苫前市街地から「ベアーロード」の標識に従って走ると現地に行けます。
今は民家はなく当時のままではないかと思わせる不気味な場所です。人がいなければ一人ではとても車を降りることはできないでしょう。
吉村の小説のタイトルは「入植者たちを襲ったヒグマがハンターに撃ち殺されると、好天だった空が突然、神の怒りをかったかのように猛吹雪となった」との言い伝えがあり、この話をもとに小説のタイトルを付けたといいます。

事件のあらすじ

12月9日午前10時頃、太田三郎宅に一頭のクマが侵入し、在宅していた妻とその子供の2人を殺害しました。
妻の遺体はクマによって山の中まで引きずられ、翌10日、部落の男たちによって変わり果てた姿で発見されました。

10日夜、太田宅で2人の通夜が行われます。
ところが午後8時半頃、その席に再びクマが侵入し、遺体を奪い返しに来たのです。多くの人々が家の中にいたため大惨事になると思われましたが、その時1人が銃を発砲し、クマは恐れて家を退散して山の中へ逃げていきました。
一方クマ狩りの本部が下流の一軒の家に置かれ、討伐隊員が集まります。
ところが11日も12日もクマの姿さえ発見できず、焦りにかられていました。
しかし、13日夕刻にはクマは誰もいない開拓部落の9軒もの家に侵入し、破壊の限りを尽くします。
同日午後8時頃クマはさらに下流に現れ、発砲しますが逃げられてしまいました。

14日午前、足跡と血痕を発見し追跡したところ、クマを発見し、山本兵吉はクマに向かって発砲し見事に的中、クマをしとめました。
3日間にわたった討伐隊員の出勤は官民あわせて延べ600人、アイヌ犬10数頭にも及んだといいます。
留萌・苫前町では、町おこしの一環として90年、「三毛別事件跡地」に、当時の開拓小屋がヒグマに襲われる様子を再現しました。今では、道内外の人が訪れる観光スポットとなりました。
「多くの人に事件の恐ろしさとともに、開拓時代の苦労があって今があるということを知ってもらいたかった」と説明しています。
明治以降、全国から北海道に向けて移住が進みましたが当時の苦労と悲惨さがこの地においても知ることができます。