米村喜男衛 3

米村は初代館長として遺跡の保全に努め、同年に国の史跡に指定されます。
最寄(モヨロ)貝塚の名称は、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、1918年(大正7年)米村によって名づけられたものです。

現在の館長は三代目で、孫にあたる米村衛です。博物館は網走市長の肝いりで平成25年にリニューアルされ、展示スペースが拡大されました。市長は網走だけでなく日本の財産でもあるので、より多くの皆さんに見てもらわなければならないと力説して、館の資金を確保したそうです。

そのために、それまでは考古学に関心のある人でなければ近寄れなかった施設の大改造を行いました。オホーツク文化人の暮らしぶりを、子どもから大人まで、来場者の誰でもが楽しく体感できるように工夫されたのです。
ドアーを開けると真っ暗で、竪穴式住居の中に入って体験できるようになったり、海獣狩猟民族であったオホーツク人は、アザラシやクジラなどを追って暮らしていたことが、実物大のセットを使って表現されたりしています。