米村喜男衛 4

次の会話は館長(孫)が公開で語られたものです

「米村喜男衛は床屋さんで、アマチュアの考古学研究者でした。私にとっては幼いころ髪を切ってもらっていた普通の床屋のおじいさんという印象があります。小さな頃から古代文化に非常に興味を持っていたようで、床屋の職人になってからも独学で考古学を勉強しているうちにアイヌ文化に非常に興味を抱くようになり網走にやって来ました。小さな頃から遺跡を見て歩いていたので、貝殻がいっぱい落ちているのを見て、これは非常に珍しい遺跡なのではないかということを最初に感じて調査を始めたらしいです。そこで偶然モヨロ貝塚に出会い、一生を通じて遺跡の調査と研究に携わっていきました。 そういう意味では自分の好きな道を生涯歩んでいったという、大変幸せな人生を歩んだ人であったと思っております。」

何といっても、この博物館の特徴は住居・貝塚・墓の3点が揃っていることが挙げられます。博物館を出ると公園のような敷地になっており、住居跡を回ることができます。先ほど室内で体験した住居内部の実物がそのまま保存されているのです。直径十数メートルの大きな六角形の竪穴式住居の内部を覗くことができます。それは5世紀の世界そのままです。

驚いたのはお墓です。この民族は亡くなった人は、膝を折って仰向けに寝かせ頭に壺を被せて埋葬しているのです。壺の部分の土が盛り上がっており、その墓跡は今も保存されているのがわかります。

モヨロ貝塚博物館の敷地内全体が、1500年前をそのまま維持しているのです。内容の豊富なことから「西の登呂」に対して「東のモヨロ」と呼ばれています。米村氏は網走市名誉市民でもあります。

網走に行ったときは、是非訪れてみてください。