米村喜男衛 2

網走の町を流れる網走川は、オホーツク海に注いでいます。その河口の砂丘に、いままで知られていた歴史的日本人とは違う人々が住んでいたことを発見したのが米村喜男衛でした。

米村は民間の考古学研究者で、東京の理髪店で働きながら各地の遺跡巡りをしていたのです。
大正2年(21歳)にアイヌ民族の研究で網走を訪れます。網走川河口の左岸に標高5メートルの砂丘台地があることに気が付きます。
この台地から発見した土器が、縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化であることに注目します。網走に住むことを決めて米村理髪店を開業し、傍らで遺跡の調査と研究に携わっていくことを決意しました。

この出土品群が基礎となり、昭和11年に現在の「網走市立郷土博物館」の前身が開館します。