砂川スイートロード

市名の由来は、アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ」(砂浜・についている・川)を意訳したもの。
明治19年、北海道庁の初代長官に就任した岩村通俊 は上川地方の開発を進めるため、高畑利宜に岩見沢から忠別太(旭川)までの道路の開削を命じました。囚人約500人を使って進めたこの工事により道路が開通。さらに明治20年に歌志内炭鉱の開坑したことから、砂川の地は忠別太方面と歌志内方面の交通の要所となります。かくて明治23年に奈江村が設置され、「まち」としての第一歩が記されました。
明治24年には歌志内の石炭を運び出すため、岩見沢-砂川間、砂川-歌志内間に鉄道が開設。「砂川駅」が設置され砂川市街が形成され始めました。明治23年には11人だった人口も27年には2,331人にまで増え、30年には歌志内が分村、33年には7,000余りになり、36年には砂川村と改称しました。

かつては石炭産業で栄えましたが、現在は市内に菓子店が多いことから「砂川スイートロード」としてPRしています。