雄冬岬
「おふゆみさき」の由来は、断崖が夕陽に照らされて燃えるように赤く見えたことからアイヌ語「ウフイ」(燃える)が転じたといわれております。
石狩館内浜益区と留萌館内増毛町の間にあり、茂津多岬(島牧郡島牧村)、神威岬(積丹郡積丹町)と並んで蝦夷の日本海三険岬と呼ばれています。
また、その厳しさゆえに道路が未整備で訪問が困難であったことから「北海道三大秘岬」(室蘭の地球岬・根室の落石岬)ともいわれていました。
標高1491mの暑寒別岳を中心に雄冬岳、浜益岳、郡別岳といった標高1200m級の山々が連なり、すそ野は切り立った崖となり海に落ち込んでいます。
昭和28年、札幌~留萌間は国道231号に指定されましたが、自動車が通行可能なのは、札幌から厚田村を経て浜益村の一部までと増毛~留萌間だけでした。
国道231号はながく「幻の国道」といわれていました。
江戸時代から鰊の漁場として栄えていただけに、道路開削の努力は続けられていました。1857年(安政4年)、浜益と増毛両場所の場所請人を兼ねていた伊達林右衛門は自費で道路を開削します。しかし、それは道と呼べるものではありませんでした。
昭和56年にようやく開通しました。23箇所のトンネルが作られましたが、その最大の難工事が雄冬岬トンネル(878m)でした。特に浜益村千代別から雄冬の間は安政期以降まったくの手付かずで断崖絶壁が続き、双方の入口とも陸上から行くことかできず断崖に足場を設けて資材や生活物資を船で運んだとされています。